1. 1、本文档共19页,可阅读全部内容。
  2. 2、原创力文档(book118)网站文档一经付费(服务费),不意味着购买了该文档的版权,仅供个人/单位学习、研究之用,不得用于商业用途,未经授权,严禁复制、发行、汇编、翻译或者网络传播等,侵权必究。
  3. 3、本站所有内容均由合作方或网友上传,本站不对文档的完整性、权威性及其观点立场正确性做任何保证或承诺!文档内容仅供研究参考,付费前请自行鉴别。如您付费,意味着您自己接受本站规则且自行承担风险,本站不退款、不进行额外附加服务;查看《如何避免下载的几个坑》。如果您已付费下载过本站文档,您可以点击 这里二次下载
  4. 4、如文档侵犯商业秘密、侵犯著作权、侵犯人身权等,请点击“版权申诉”(推荐),也可以打举报电话:400-050-0827(电话支持时间:9:00-18:30)。
查看更多
後藤点-ZAQ.doc

(岩倉紙芝居館古典館http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/koten.htm    宰主 上田啓之) 論語集註 後藤点  凡二十八章。篇凡て二十八章。篇 ○ 子の曰はく、雍は南面せしむ可し。南面者、人君聽治之位。言仲弓、寬洪簡重、有人君之度也。南面は、人君の治を聽く位なり。言ふは、仲弓、寬洪簡重にて、人君の度有り。 ■姓は冄(ぜん)、名は雍(よう)、字(あざな)が仲弓(ちゅうきゅう)、孔子より少(わか)きこと29歳。以下に犁牛(犠牲の赤色の牛)之子とからかわれる。■南面は、古注では、仲弓は諸侯に匹敵するとみられてきた。君子南面す、の南面。仲弓は君子の度量があるに、犁牛之子とは何たる悪口雑言と孔子が怒った、と考へられた。以下の仲弓の言葉を受けて孔子が下した結論が先に述べられたのかもしれない。■寬洪簡重 溢れんばかりの寛容さ、鷹揚だが慎重。簡は意味が多い、手軽、略す、疎かにする、おおまか、怠る、調べる、数える、選ぶ、分ける、諌める等々。  仲弓子、桑伯子を問ふ。子の曰はく、可なり簡。子桑伯子、魯人。胡氏以爲、疑卽莊周所稱子桑戶者。是也。仲弓以夫子許己南面、故問伯子如何。可者、僅可而有所未盡之辭。簡者、不煩之謂。子桑伯子は魯人(ろひと)。胡氏が以爲(おもへ)らく、疑ふらくは卽ち莊周が稱する所の子桑戶なる者と。是なり。仲弓、夫子の己に南面するを許すを以て、故に伯子は如何と問ふ。可は、僅かに可にして未だ盡くさざる所有るの辭なり。簡は、煩はしからざるの謂なり。 ■桑伯子については、古注では、伝には見えない不詳の人であった。鄭玄は左伝に「秦に公孫枝字(あざな)子桑有り。これを以て秦の大夫と為す」としたが「恐るらくは非なり」とあり、不詳とするのが通説であった。朱熹は、胡氏説を採り、荘子の大宗師第六の子桑戸(しそうこ、隠者)とした。■朱熹は、孔子が仲弓を南面せしむ可しとしたから、伯子について質問したとするが、果たしてそうか?また、古注が簡を略とし、寛略で可としたのを、簡を不煩とし、可を十分ではない少しばかりの可としたが、そうであろうか?孔子は簡なところが善いではないかと何気なく応へた。  仲弓が曰く、敬に居て簡を行ふ。以て其の民に臨むは、亦可ならずや。簡に居て簡を行ふ、無乃(むしろ)大簡か。大、音泰。○言自處以敬、則中有主而自治嚴。如是而行簡以臨民、則事不煩、而民不擾。所以爲可。若先自處以簡、則中無主、而自治疎矣。而所行又簡。豈不失之大簡而無法度之可守乎。家語記、伯子不衣冠而處。夫子譏其欲同人道於牛馬。然則伯子蓋大簡者、而仲弓疑夫子之過許與。大tàiは音泰。○言ふは、自ら處(す)るに敬を以てすれば、則ち中に主有りて自ら治むること嚴。是の如くにして簡を行ひて以て民に臨めば、則ち事煩はしからずして、民擾(みだ)れず。可と爲す所以。若し先ず自ら處るに簡を以てして、則ち中に主無くば、自ら治むこと疎なり。而して行ふ所又簡なり。豈に之を大簡に失して法度の守る可き無きにあらず。家語に記す、伯子衣冠せずして處(を)る。夫子其の人道を牛馬と同じくせんと欲するを譏る。然れば則ち伯子は蓋し大簡なる者にして、仲弓、夫子の過ちて許せるかと疑ふ。 ■大はdàで大きいこと、tàiで~にすぎる、非常に~。■仲弓は、敬(jìng;つつしみ)にして簡(jiǎn)であって政治をするならいいが、簡にして簡であれば簡にすぎるのではありませんかと突っ込んだ。  子の曰はく、雍が言(こと)然り。仲弓蓋未喩夫子可字之意、而其所言之理、有默契焉者。故夫子然之。○程子曰、子桑伯子之簡、雖可取而未盡善。故夫子云可也。仲弓因言、内主於敬而簡、則爲要直。内存乎簡而簡、則爲疎略。可謂得其旨矣。又曰、居敬則心中無物。故所行自簡。居簡、則先有心於簡、而多一簡字矣。故曰大簡。仲弓蓋し未だ夫子の可の字の意を喩らず、而して、其の言ふ所の理、默して契(かな)ふ者有り。故に夫子之を然りとす。○程子の曰く、子桑伯子の簡、取る可しと雖も、未だ善を盡くさず。故に夫子可なりと云ふ。仲弓因りて言ふ、内敬を主として簡なれば、則ち要直と爲る。内簡を存して簡なれば、則ち疎略と爲る。其の旨を得ると謂ふ可し。又曰く、敬に居れば則ち心中に物無し。故に行ふ所自ら簡なり。簡に居れば、則ち先ず簡に心有りて、一の簡の字多し。故に大簡と曰ふ。 ■程子や朱熹は孔子は聖人であり、弟子に劣るようなことが無いのが前提であり、孔子の可が不十分の可であり、仲弓がその意を呈して述べたという認識となる。■民に臨むとは政治の場を想定しており、そういふ場合の心がけとして、如何に簡であっても、敬しみて臨まねばならないと仲弓が考へていた。まさしくその通り、孔子は仲弓を南面させることのできる男である、と見直した。 ○ 哀公

文档评论(0)

ailuojue + 关注
实名认证
内容提供者

该用户很懒,什么也没介绍

1亿VIP精品文档

相关文档